当時の暮らしは……。大阪市内に残してきた家も家財道具も空襲で失ってしまい、親戚の家に同居させてもらって、家族七人肩寄せ合って暮らしていました。台や机の類は、円い組み立て式の卓袱台と回転椅子のついた頑丈な机だけでした。衣類の収納も兄弟姉妹五人で一棹の整理ダンスを共用していました。それだけしか家具がなかったというのに、母の生きがいであった手回しの蓄音機とレコードはありました。土間にしゃがんでタライで洗濯している母の近くで、私は手回し蓄音機のハンドルを回してベートーベンやバッハのレコードをかけていました。
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すこしでもぼーっとしているとレコードの回転スピードがおちて、間延びのした音になってしまうのです。後に私もタライの前でしゃがむようになりました。その姿勢のしんどいこと。あの頃から半世紀近い年月が経っていても、タライで洗濯するしんどさは忘れられません。私が中学生の時代に我が家は最初の洗濯機を買いました。私自身もうれしかったのですが、母の「だすかるわ」という言葉を何度も聞いたことが、子ども心にもうれしかったのを覚えています。私がタライでの洗濯の辛さを知らなかったら、母の言葉も聞き落としていたかもしれません。私がもの心ついた頃、弟は母親と一枚の布団で寝て、私は父親と寝ていました。家族一人ひとりに一組ずつの夜具があるような暮らしではなかったからです。また、火鉢以外の暖房もないので、部屋の中も布団の中も冷たくて、父親の体温をコタツがわりに眠りについたのです。